2012年2月8日水曜日

きょうの研究日誌

「布施」,「お布施」というとお寺での「法事」などの時にお寺に払う「代金,礼金」を表す専門用語である.世俗における「お酒」を「般若湯」と呼ぶような,仏教系専門用語である.

しかし,これは,「布施」の概念の一部を示すものに過ぎず,実は,もっと深い.

金銭や食べ物などを施す「財施」のほか,仏の教えを説く「法施」,困っている者を慰めて恐怖心を除くなどの「無畏施」,にこにこして人を和ませる「和顔施」などいろいろあるようだ.

さて,例えば,お寺の賽銭箱に「どうか,良いことがありますように!」と神様,いや,仏様にお願いしてお金を入れたとする.これは,正直に言えば,あくまでも「お金を上げますから,何とか,良いことがあるようによろしくお願いしますよ!,仏様!」という見返りを思ってのお金である.

さて,この賽銭箱に入れたお金を泥棒が奪って,持って行ってしまったとする.これは,穏やかではない.「せっかく,仏様に特別にお世話になろうとしてお金を出したのに,そのお金を横取りして持って行ってしまった.仏様に届ける私の金を返せ!悪者」と腹が立つのが普通であろう.

しかし,どうも違うようだ.布施は,お金が自分から離れた瞬間から,自分のものではなく,それがどう使われようが,自分の希望とは関係なくなる.極端な話であるが,泥棒が布施を奪っても,それは,既に自分のお金がどう使われても自分にとっては,関係ないことなのである.

つまり,執着しないこと.「自分があげたお金」であると自分の手から離れた瞬間,気が離れる.執着しない.

執着しないということは,「やってあげたのに」という,見返りを求めないということである.お金を賽銭箱に入れて,「どうかよろしく」と見返りを求めないことである.

見返りを求めない仕事.何のためにやっているのか? 自分に関係ない仕事.自分のキャリアアップにまったくつながらない仕事,人のためだけの仕事,これらは,すべて「お布施」である.

「お布施」をしたからと言って,良いことが転がり込むわけではない.ただ,瞬間瞬間.やるべきことを淡々と行っている自分がいるだけである.

この境地になかなかたどり着けないが,最近,調子が良い時は,少しわかるようになってきた.こうして,陰徳を積むのである.

 

 

 

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