2011年11月3日木曜日

ブログ うつと酒と小説な日々 時々ホラー映画

先ほどテレビを観ていたら、一般参賀の映像が流れていました。
私はその映像を観て、瞬間、タイムスリップを味わいました。

あれは平成4年の1月2日、就職を控えた大学四年生の正月、私は人生の夏休みとも言うべき学生生活が終ることになんとはなしに焦燥感を覚え、退屈な正月にアクセントを与えようと思い立ち、独り、皇居に向かったのでした。

東京の正月が大抵そうであるように、その日もよく晴れて、しかし空気の冷たい一日でした。

皇宮警察の警察官らに案内され、多くの人とともに二重橋を渡って皇居東庭に導かれました。
途中、紙でできた安っぽい紙製の日の丸の小旗を渡されました。
皇居東庭は想像以上に狭かったことに驚きましたねぇ。
それと、酒臭い息をはくおじさんが多かったこと。
30分ほど待たされて、天皇皇后両陛下をはじめとする皇族方がずらりと並び、今上陛下が短い挨拶を述べ給いました。



そして一斉に日の丸の小旗を打ち振って、べつに万歳三唱を唱えるわけでもなく、ものの3分ほどで終わり、終るなり皇宮警察にせきたてられるように坂下門から帰るように促されました。
なんだか拍子抜けしましたねぇ。

私が初めて生の天皇陛下を眼にしたのは、中学2年生の頃。
まだ蔵前にあった国技館に親と一緒に相撲見物に出かけたときです。
たまたまですが、天覧相撲の日だったのです。
升席の狭さに閉口しつつ、当時人気だった若嶋津や千代の富士の熱戦に見入りました。
昭和天皇はすっかりおじいちゃんで、口をもごもごさせながら帰り際、観客に短い挨拶を述べて、危なっかしい足取りで帰っていかれました。

その後就職した最初の年の秋、私は今上陛下に最接近することになります。

私が勤める研究機関に両陛下が視察にお出ましになり、私は命じられて今上陛下・皇后陛下が御通りになる廊下に面した便所の前に立ち、誰も便所に入らないようにしろ、という役目を果たすことになりました。
テロリストが便所に隠れて襲ってはいけないから、ということかと思います。
両陛下はまさに私の数十センチ先を歩いていかれました。

この時、私は根源的な疑問を抱きました。
私がテロリストだったらどうするのじゃ?という疑問です。
私は確かに、両陛下を刺し殺せるくらいの位置にいました。

皇族暗殺を目論むテロ組織は、東京国立博物館など、皇族がよく訪れる研究機関に職員としてテロリストを送り込めば、ことは簡単に成就してしまうと思い、ぞっとしました。

行政職の公務員試験には警察官や自衛官の試験のような適性検査がなく、一般教養試験と政治学、行政学、法学、経済学などの専門試験を受け、筆記試験に受かれば後は面接だけです。
これはもしかしたら、将来に禍根を残すかもしれませんね。

その後何度も天皇陛下、皇太子殿下、秋篠宮殿下らが私の職場を訪問され、その都度、危機感を強くします。

私は何度もこのブログで述べているとおり、遠い将来には天皇制を廃止すべきだと考えていますが、今はその時ではありません。
象徴天皇制は国民の8割を超す支持を受けており、皇室は人気があります。
ゆるやかに天皇制廃止を達成するためには、過激なテロリストに皇族が襲われるようなことがあってはなりません。

警備には細心の注意が必要かと思います。

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